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街のパチンコ環境の移り変わり(下北沢編)

2020年07月15日

今年の初めに考えた企画ですが、コロナもあってズルズルと延期に。ようやく実現のときを迎えました(笑)。

私が初めてパチスロを打ったのは1990年1月のこと。当時、住んでいた東京は下北沢でした。こじんまりした繁華街で、音楽と演劇の街として知られていますね。そこから30年。小田急線が複々線化で地下に潜るなど街の姿は大きく変わっていきました。

それと同じく、パチンコ環境も様変わり。30年前から20年前にかけて、ホールは5〜6軒ありましたが、現在は2軒となっています。そこで、その跡地も巡りながらパチスロの今昔を語ってみようというのが企画の趣旨であります。

とはいえ、私の独り語りも寂しいですので、ゲストをお迎えしました。パチビーではお馴染みのKUNNYさん……だけではオッサンの昔話が炸裂するだけですな。そこで「スーパーパチスロ777(竹書房:休刊中)」で“平岡ちゃんのパチスロ徒然日記”の原作をしていた平岡みゆきさんにもご同行いただきました。

まあ、なに。せっかく外出自粛も解けたので、パチンコ・パチスロを中心に街ブラをしながら語り合いましょうということです。しかし、こんな情勢ですから。ホール解説の部分は先に原稿を書いておき、それを先に渡していました(笑)。それではさっそくレッツゴー!


○まずは、下北沢をざっくり解説

北口と南口と分かれていたところが、線路が無くなって中央口に。

東京都世田谷区。小田急線と京王井の頭線が交差する新宿・渋谷とも10分圏内のプチターミナル駅。現在は再開発が進んで小田急線が複々線化に伴い地下化されてボーダーレスの様を呈していますが、旧線路の北側と南側で商店街の特徴が異なるのが特徴です。

駅の南側は、劇場とライブハウスがたくさん!
北側は戦後の闇市(再開発で消滅)の名残りや、大丸ピーコックが昔よりあり、近隣住民の日用の買い物が中心。南側はターミナル駅の繁華街。下北沢の代名詞“音楽と演劇の街”のライブハウスと劇場は、ほぼすべてが南側。パチンコホールも、ギリギリ線路の北側にワールドというホールが1軒あっただけで、それ以外は南側に集中してあります。

あと、街の特徴として。とにかく道が狭いです(笑)。一方通行は当たり前。車が通れるだけマシといった具合です。また“沢”の文字が付くように川が作った起伏と、至るところに暗渠にされた名残りが……って、ブラタモリではないのでヤメておきましょう(汗)。


○駅前の一等地は、あの女優さんの実家!

フジ・ゴールデンの跡地(???〜1995年頃?)

下北沢駅をかつてあった南口から出てすぐ目の前の小さな交差点。いまはゲームセンターになっていますが、30年前はパチンコ屋さんでした。その当時でも“昔ながら”と思うようなパチンコ専門店。「釘を叩くのが楽しかった。またやりたいとお父さんが言っていた」ということを女優になった娘さんがTVで話していたのを私も感慨深く聞きました。ええ、小池栄子さんのお父さんです。

「生簀にワニを飼っている」というエピソードがあり、かつて写真左のフジには生簀があったので確定。ゴールデンは不明ですが、まったくの同時期にゲームセンターとなったので、おそらく同じ経営かと思われます。

ちなみに、生簀はなくなっていました。裏口にあったんですけどね(笑)。

○私とともに変化した憩いの場

プランタ(1993〜2008年)

私が高校生くらいのときまではゲームセンター。ジュースをタダでくれたので、よく入り浸っていました(笑)。それが1993年頃、大学生時代になるとパチンコ屋へ。当初はパチンコしかなく、新規開店では『CRスーパーダンク』を打ってドハマリの後に猛爆した記憶。後にパチスロも導入してくれましたが、そのときは私がこの街を離れておりました。

いろいろ体にガタがくるお年頃となった現在は、ドラッグストアとなっております。本当にこの場所は私の成長と縁があるようです(笑)。

○パチスロの殿堂、幻の2号店

グリンピース下北沢店(1991年頃)

新宿本店など、パチスロの殿堂として知られるグリンピース。実は、1991年頃に下北沢店が存在しました。設置されていたのは、初代『アラジン』『スーパーバニーガール』『ウインクル』だったか。新宿本店になかった『ウインクル』を触りたいときに寄っていました。とはいえ、その当時の主戦場は新宿本店。小さな繁華街でのスロ専は時代が早すぎたか。短期間で見切りを付けて閉店したようです。

現在のグリンピースの店長クラスの方々も、資料でしかこのお店の存在を知らないようです。30年前は単店営業が多く、私が初めて“チェーン店”、“この看板なら安心”と思えたのがグリンピースでした。

○TUCショップ導入の元祖

ミナミ本店(1973年〜)

東京のホールの特殊景品は、ほとんどのホールが“金地金”で、それをTUCショップに持って行く流れになっています。暴力団などの資金源とならないように生まれたシステムです。その先頭に立っていたのが、都遊協の副理事(当時)だったミナミ。

1991年には、それに反対する暴力団から自宅に銃弾が打ち込まれたり、火炎瓶が投げつけられるなど“下北沢戦争”と呼ばれました。それに耐えて、勝ち取ったシステムなのです。これを知る人間からいたしますと。何の根拠もなしに「パチンコは反社」とか言う人は「ミナミさんに謝れ!」と言いたくなります。

下北沢戦争の詳細を知りたい方は、コチラの記事を。

ここの2階は、私が中学生時分はゲームセンターでよく行っていました。その当時、入口の壁には「都内最大級280台!」などという文字が。数字は適当です。この30年で店舗はどんどん大型化していきました。後に2階のゲームセンター部分がパチスロコーナーになったような。

しかし、最初のTUCショップの位置をなんとなくしか覚えておりません。実は、当時はそれほどミナミで打っておりませんで(笑)。この駐車場の手前側に質屋さんがあって、その一角だったか。うっすらした記憶で申し訳ないです。

ミナミ10号店(1996〜2017年)

ミナミはほかにもチェーン展開をしており、1996年には10号店として下北沢に2店舗目をオープン。こちらはオープンから400台規模。当時の人気機種『クランキーコンドル』の間に他の機種を挟ませるソーシャルディスタンス営業をしておりました(笑)。

○裏モノの館も区画整理には勝てず

ワールド(???〜???)

1992年頃から下北沢を離れる1994年頃まで、3号機時代の主戦場。『ミスターマジック』や『ワイルドキャッツ』といった裏モノを中心に打っていました。かなり香ばしいように思われるかもしれませんが、交換率も低く(6.67枚交換)遊べる設定内容でした。ちなみに、このホールで打っていた隣駅のアルバイト仲間は、大学卒業でユニバーサルに就職しました。

1998年頃に『クランキーコンドル』で、目の全体を黒く塗りつぶされている“飛鳥ちゃん台(通称)”があったのは確認していましたが、小田急線の工事にともない用地買収され撤退。

○“初めて”の場所

下北レジャー→カレイド(???〜1997年〜)
1990年1月。私が初めてパチスロを打った場所です。場所と書くのは、ホール名もシマ構成も変わってしまっているから。当時はまだパチンコしか打っていませんでしたが、景品交換所が休憩のときに流してしまい。勝っていたからチャレンジしただけのことでした。で、うっかり1000円で出ていまに至ります(笑)。

ホール名は変わっていても経営会社は変わっていなかったりしますが、カレイドに名前が変わるまで数年間、長期休業をしていました。『ジャックポットⅡA』を打った記憶はあるので、4号機初期のタイミングでお休みをしていたのかな。

右の写真は、カレイドからワールドの方向を見たもの。かつては、この間に小田急線が走っていました。


下北沢の繁華街は、こじんまり集っているのも特徴。営業しているところは中を覗きつつも、30分足らずで廻り終わってしまいました。それでは、お二方に感想をいただきましょう。

○KUNNY「ターミナル駅なのにガラパゴス!?」

あっという間に歩き終わったので喫茶店で感想をば。(撮影:平岡さん)

「カレイドさんはあるにせよ、いわゆるチェーン店が進出してきていないことに驚き。普通の商業施設も大型店がほぼなく、個性のある小さなお店が集っているのが特徴的だったなあ。かつてあったパチンコホールも個性の強そうなホールばかり。ほかのターミナル駅ではあまり見たことがないかも。」

ここで生まれ育ったので、雑多なのが当たり前くらいに思っていましたが、考えてみればかなり特殊な商店街なのは認めます(笑)。

再開発らしい再開発は、小田急線の地下化が初めて。つい最近まで闇市の名残りがありましたからね。小規模な店舗が多くあるので、まとまった土地が空かない。大規模店舗が作りにくいので、チェーン展開しにくかったのかもしれませんね。

○平岡「住宅街に囲まれたオアシスのような商店街」

クロマニヨンズのファンの平岡みゆきさん。甲本ヒロトさんの縁の地でパシャリ。

「どの方向に歩いても、この道までが商店街というのがハッキリしていて、そこから閑静な住宅街に。そのコントラストが面白かったです。山の手は私に合わないと思っていましたが、ここは馴染めそうです(笑)。あと、隣の駅との距離が近い! ちょっと歩いて住宅街に入ったと思ったら、いきなり駅が出てきてビックリしました」

私も下北沢で生まれ育ったと言っていますが、正確には隣の駅です(笑)。隣にある4駅は、いずれも各駅停車しか止まらない住宅街で、下北沢まで徒歩10分はかからないかな。

なので、商店街もほぼなく。もちろん、ホールなどの遊興施設もないんです。ほとんどの住民は、普通に下北沢まで歩きますね。5駅分の繁華街という割にはこじんまりしていますけど。


ちょっと買い物するにも、ちょっと遊ぶにも。歩いて集るのも人が多いのも下北沢の特徴です。商店街の範囲は狭くても小ぶりなお店が密集することによって、多くの人のニーズに応え続けてきた歴史があります。

それはパチンコホールも同じこと。入れ替わりはあったものの2010年頃までは個性の違う5〜6軒が営業していました。しかし、現在は2軒だけと寂しい状況になってしまっています。昨今は大変なことになってしまっていますが、5駅分の住民の憩いの場として頑張って欲しいと願う次第です。ターミナル駅に見えて、基本は巨大住宅街の中心駅なんです、ココ。

小田急線の線路跡と川の跡。いろいろ地下に埋められる街でもありますけどね(笑)。