pachibee
動画検索

新機種導入
2024年05月07日
Lパチスロ 炎炎ノ消防隊
スマスロ交響詩篇エウレカセブン4 HI-EVOLUTION
沖シーサー-30
L ウルトラマンティガ
ニューパルサーSP4 with 太鼓の達人
Pフィーバー炎炎ノ消防隊 Light ver.
P七つの大罪2 神千斬りVER.
P GO!GO!郷 革命の5
P 水戸黄門 超極上 らいとばーじょん
Pラブ嬢 ~極嬢のハーレム体験~
Pゴブリンスレイヤー ラッキートリガーVer
2024年04月22日

ゲームセンター「タンポポ」は昭和パチンコのテーマパークだった!

2020年08月15日

今年の2月29日。東京都福生市の老舗パチンコホール「タンポポ」が、惜しまれつつ60年以上の歴史に幕を閉じました。

激しく後悔しました。古めの機械を大切にしている老舗店を応援しているにも関わらず、行ったことがなかったのです。「パチンコ寄りだなあ。パチンコはあまり知らないから」それが理由でした。元々、引きこもり系だったワタクシ。「パチスロでそこに行かなければ打てない機種がある」いつの時代も遠出をするモチベーションはこれが中心となっていました。

「極論すれば機種なんてなんでも良い」たまに原稿に書くことがあります。機種のちょっとした良し悪しよりも、ここなら楽しめると信頼を持てるホールで打てることこそが大事であり、そのようなホールが増えればパチンコ・パチスロが、また庶民の娯楽という立ち位置を取り戻せる。道は遠くとも、そう感じているからです。

私が「タンポポ」から感じ取りたかったのは、特定の機種の楽しさを再確認することではなく、60年以上も地域のパチンコファンに愛された“空気”だったはずです。打ちたいパチスロがないからとそんな自分の心に蓋をし、名店と言われた老舗を見ることができなかったのは、痛恨の極みでした。



それから約4ヶ月。7月に「タンポポ」は、レトロなパチンコ台・パチスロ台を集めた「ゲームセンター タンポポ」として再出発を果たしました。お店の設備などはそのままに! そりゃ、行くしかありませんよね。ということで、前回の下北沢の街ブラに引き続き、KUNNYさんと平岡みゆきさんと遊んでまいりました。

駅からは近いものの、福生駅は立川で青梅線に乗り換えるなどアクセスが良いとは言えません。でも、考えてみてください。映画『Back to the Future(バック・トゥ・ザ・フューチャー)』でもデロリアンの時速が約140Kmにならないとタイムトラベルはできないわけです。旅をする時間もタイムトラベルの楽しみのうち。帰りには、近くになくて良かった。近すぎると入り浸ってしまう。そう思わされました(笑)。

先に私の個人的な感想を申し上げますと。単なるゲームセンターというよりも、昭和のぱちんこ屋を満喫できる体験型テーマパークだったのです。


○私も現役で打った機種は数えるほど

まずは、公式HPのご案内から。https://tanpopo777.com

そちらに設置機種のリストはありますが、大半の方にとって分からない機種だらけかと思います。「この機種を打ちたい」なんて思えた方は、迷わずGO。パチスロのゲームセンターはまだありますが、パチンコを中心としているのはココだけ。これを逃したら二度と触れないかもしれません。

パチスロが中心のゲームセンターは、多くの人が打ちたい機種を置くことを主眼としています。今だとどこも主流は5号機の跳ねる機種が多いです。打ってもらう機種がウリ。それが普通です。人気機種を並べて、人を集める。通常のホール経営と発想は同じです。

しかし「タンポポ」のラインナップは一線を画しています。パチスロはリプレイすらない3号機以前しかありませんし(1992年までの機種)、パチンコも同じ時期の機種ばかりです。これにトキメク人種、キャリアを持つ人は多いと言えません。私ですら、現役時代に打ったことのある機種は数えるほどでした。

そうです。「タンポポ」が伝えたい魅力の一番手は、機種そのものではないでしょう。メインはパチンコホールとして長期営業していた「タンポポ」というホール。そして、このハコだからこそ伝えられる“昭和の空気”だと感じました。

情報も発達していなかったその当時、2万軒に近いホールは、機種よりもホールの魅力で近隣の住民を集めていました。その昭和の空気です。


○約30年ぶりの“打ち止め”
ひげ紳士さんと記念撮影。

「ゲームセンター タンポポ」は、名物ホール「幸手チャレンジャー」でもお馴染みの“ひげ紳士”店長さんが手がけております。なので、コロナ対策も通常のホールと同様のガイドラインを遵守していました。検温と手指の消毒をしての入店です。ここで、まずテーマパークらしい歓迎を受けます。

「検温と消毒も終わったので、ここから昭和の店員モードに戻ります。台鍵をブンブン振り回すような(笑)」こうして我々の“タンポポクルーズ”は始まりました。
システムは、打ち放題・台移動したい放題の時間制。パチンコからパチスロへの移動も大丈夫です。「昔はこれでパッキーカードを売っていたんだろうな」とKUNNYさん。パッキーカードとは、パチンコ版のプリペイドカードのこと。1990年代のパチンコは、パッキーカードを購入して打つスタイルだったのです。

これで生まれたのがCR機です。パチンコ業界にとっては、アメとムチだったでしょうか。売上が明確になるので脱税がしにくくなる代わりに、確率変動機能が認められるようになりました。ちなみに、最初の確変搭載機は1991年の『フィーバーチャレンジII』(SANKYO)でした。

私が最初に選んだのはSANKYOの『マジックカーペットI』。私がパチンコデビューしたのは、この続編。初打ちです。結果的に、役モノのカーペットのデザイン以外は同じだったように思えましたが。釘の配置が微妙に……とかあったらゴメンナサイ。サウンドやゲーム性はすべて一緒でした。

写真にあるように2500発の定量制です。定量制とは、それだけ出たら“打ち止め”ということ。一人が長居して、ほかの打ちたい人が打てないことを避ける意味合いもありますが、これこそ昭和の光景でしょう。

低交換率の営業が多かったので、定量制で上限を作ることにより交換ギャップや売上増を作ることができました。また、打ち止めとなってしばらくすると(ホールの裁量で)、開放してくれます。ユーザーにとっては、釘とか分からなくても開放台に座れば勝ちやすいといった指針にもできたのです。

行かれた方が打ち止めできた場合。注目していただきたいことがあります。「○番台、予定数終了です」という自動の店内アナウンスが流れるのです。活気あるホールではよく聞くことができました。それを聞いた店員さんが、持ち玉を確認して「お兄ちゃん終了ね〜、おめでと〜」と笑顔で言いながら、強制的にヤメさせます(笑)。
ということで、打ち止めとなりました。素人ながら面白いなと思ったのは、激アマの釘ではないところです。当時のホールで打っていた羽根モノは「鳴かせどころと、拾いどころ」が違うことも多かったですが、そのようなことを思い出させる釘となっていました。その次に打った台は「こりゃ私には打ち止めまで無理」と思わされましたもん。

そう。お目当ての機種を打つだけではなく「今日はどの台が甘釘なんだろう?」そんなことも楽しめます。パチスロもスロゲーセンでありがちなオール設定6というわけではありません。勝負を楽しむこともできるのです。ね、普通のスロゲーセンとは一線を画しているでしょ?


○昭和のホールの店員さんも楽しもう!
昭和のパチンコ屋の空気は“あまり孤独を感じさせない・お誘い合わせの来店”というものもありました。パチンコ・パチスロは、一人でも楽しめる娯楽の代表でもあるので“孤独を感じさせない”のイメージが湧きにくいかと思いますが、とにかく店員さんに存在感があったのです。

店内のマイクパフォーマンスもそうですが、お客さんとの距離が近いのです。ソーシャルディスタンス的な意味ではありません(笑)。心の距離です。この日、来店したお客さんが帰る際は、ほぼ全員を入口までお見送りして会話していたかと思います。

もちろん、昭和そのものではありませんよ。一見さんにいきなり話しかけることは滅多になかったですが。テーマパークなので初回でも常連さん待遇ということでしょう。なので、令和の時代にお見せできない負の部分はちゃんと改善されております。

ひげ紳士さんが、最初に「昭和の店員モードに戻ります。台鍵をブンブン振り回すような」と仰っていましたが、これはゴト対策(舐められないように)とかもあったのかしら。当時はパンチパーマの店員さんも多く、お客さん用の休憩スペースのベンチに座ってタバコを吸ってダベっているのがデフォだったりもしました。時に眼光厳しく。そういったホラー的な光景はありませんよ。テーマパークですけど(笑)。

その距離の近さは、ときに“客イジリ”にも発展します。初代『アラジン』を打っていたKUNNYさん。設定を[6]に変更してくれたにも関わらず、アラジンチャンス(SINの集中)を引かないこと引かないこと。店員さんが通るたびに「お客さん、そろそろ当ててくれないと困ります」「離席しているけど諦めちゃった?」なんて。もちろん、連れ立っての来店だから大丈夫とか相手は見ているでしょうが、通って行くうちにイジられるのも当時の鉄板でした。

私もBIG間2000Gハマリとかの最中のREGで「○番台のお客様、待望のREGボーナススタートおめでとうございます」など、マイクパフォーマンスでよくイジられていたものです(笑)。

当時、私が若かったのもあるでしょうが。店員さんが楽しんでいる空間にお邪魔させてもらう。言い過ぎかもしれませんが、そのような感覚だったのも事実です。店員さんに存在感がないと、そうは思えないですよね。機械を楽しむのもありますが、面白い店員さんに会いに行くのも来店動機の一つでした。


○タイムマシンの乗り方は2種類ある

店内のBGMは、有線の1990年代のヒット曲チャンネルかと思います。これを聴いているときにふと思いました。「昔は流行の曲をホールで知ったなあ」と。それと同時に、2種類の聴こえ方があるとも。ひげ紳士さんが店内マイクを使って熱唱しているのは、当時のホールでも経験しなかった光景でしたが(笑)。

聴こえ方の1つは、令和から振り返る視点です。懐メロを懐かしいという当たり前の感想。もう1つは、自分そのものが1990年代にタイムスリップしたという視点です。そうすると、懐メロではなく流行歌ということになります。この2つの視点は、そのまま「ゲームセンター タンポポ」にも当てはまるのではないでしょうか。

その時代の経験がない若い人は令和視点が強くなってしまうのは仕方ないですが。それでも“今とは違う部分”を発見して楽しむことができるでしょう。その時代の経験がある方や、若い世代でも想像力が豊かな方は、自分ごと昭和視点にしてみるのも面白いかと思います。

当時は、インターネットもありませんでしたし、ホールは自分の足で探すしかありませんでした。メディアも発達していなかったので、新しく知った店舗には知らない機種も多くあったことでしょう。「なんだろうこの機種?大当たりしたら役モノはどんな動きをするんだろう?」こんなことは多々あったはず。それをまたやり直せるのです。ゲームセンターなので景品には換えられないですけど。知識欲的な部分で。

そんな昭和の視点で見ることも可能にしているのは、すべてが揃っているからです。タンポポという長年のファンの想いが残っている歴史あるハコで、昭和のホール風景を愛するひげ紳士さんがプロデュースをして、その雰囲気を壊さないセットとして当時の機種が並んでいる。どれが欠けても成り立たないものだと思います。

知っている機種がないから?パチンコ・パチスロが好きならば、たったそれだけのことで行くのをためらうのは勿体ないと感じました。特に業界関係者は必ず見るべきでしょう。

ユーザーであれば、これから好きになって通うホールに影響を与えるかもしれません。ホール関係者であれば、今できなくなっていることも多いですが、なにか接客のヒントを得られるかもしれません。メーカー関係者であれば、パチンコ・パチスロがどのような過程を経て進化したのか。こちらもヒントを得られるかもしれません。
あと、オススメしたいのは昭和の時代にあった“お誘い合わせの来店”です。年齢や育ってきた環境が異なる人と行けば、それだけ違う視点が組み合わさることになります。より楽しくなることでしょう。

そういえば、平岡さんと初の並び打ち。2人ともパチスロの人なのにパチンコの羽根モノとなったのはご愛嬌。そんな平岡さんの視点・アツい想いは、ブログに書いていらっしゃいました。公開日の関係で先を越されました(笑)。よろしければ、こちらもご覧になってくださいませ。

平岡幸(ひらおかみゆき)の東京OL〜パチスロ日記
https://ameblo.jp/momo1214momo/entry-12615028469.html