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街のパチスロ環境の移り変わり(新宿駅その他編)

2022年04月15日

前回はグリンピース新宿本店周辺の新宿駅東南口近辺のパチスロ事情を振り返ってみました。そこで今回は、東南口以外を見てみたいと思います。

よく地方の方は「ホールのたくさんある東京が羨ましい」とおっしゃいます。確かにホールの数はありますが、人が多いからラクに商売ができると思ったら大間違い。昔は個性的な細々したホールがあったものの、現在は寂しい状況に。それだけ多くのホールが撤退を余儀なくされたということです。

新宿を題材とするのに、前回も書いた通り範囲が広すぎます。そこで、おおまかな地域に分けさせていただきますが、跡地巡りが主なので、西武新宿駅前のエスパス系列も省きます。元は細々したホールもありましたが、独占してから長いことグループ内でどの建物を使うかといったマイナーチェンジが多すぎまして。

また、かつてホールだった場所が多すぎてすべてを把握しきれません。一瞬で潰れたとかもあるので(笑)。30年前から10年前くらいまでの主だったところだけと、ご理解いただければ幸いです。

○今は新宿アラジンの天下、新宿駅南口&西口。
▲新宿アラジン(左)・カレイド新宿店(右)

ヨドバシカメラ本店のある南口と大ガードの西口側は、新宿アラジンカレイド新宿店が現存。どちらも1990年台初頭には既にあった老舗店舗です。
▲かつてパチンコホールがあった場所(赤)・現存するホール(緑)

右上が“大ガード”でくぐると歌舞伎町へ。その青梅街道沿いに現存するのがカレイド新宿店。左下の離れた位置にあるのは、ワシントンホテルにあるフレスコ新宿。銀行の跡地というユニークな立地です。右下が新宿アラジン。かつては多くの競合店もありましたが、最終的に勝ち残った図式になります。

○ジャンボの跡地(〜2018年・建物残存)
新宿駅の真横。西口から大ガード方向に進んだ位置です。1990年代の伝説のテレビ番組「ボキャブラ天国」の“かんばんわ”という看板をモジったりするなど笑いにしていたコーナーで、こともあろうに“パチンコ ジャンボ”の“パ”の字が消えている状態のネオンが取り上げられ一躍有名になったホールです。立地の良さから、ここの休憩スペースを待ち合わせ場所にさせてもらっていた以外にあまり記憶がなく・・・。


○アイランド新宿店の跡地(〜2014年・建物残存)
プラザ通りの新宿郵便局前のパチスロ専門店。立地的にオフィス街のサラリーマンが立ち寄りやすく、その客層に向けたノーマルタイプを揃えているホールでした。2011年の「ハーレムエース2」は、半分以上はここで打ったものだったりします。ノーマルではないですが「モエるまりんバトる」最後の設置店だったりと個性もあるホールでした。


○ラスベガス新宿西口店の跡地(〜2007年・建物残存)
新宿駅から見てヨドバシカメラ本店のすぐ奥の中央通りにあったパチスロ専門の小型店。2002年頃に4号機の「キャッツアイ」があったのは覚えていますが、ヨドバシカメラで買い物をすることも多く、店舗の存在は覚えているんですが・・・。それ以外がまったく思い出せません(笑)。


○ガイア新宿西口店の跡地(〜2019年・建物残存)
国際通りに立地。オープンも2005年と遅めで、今のところ最後の“新宿アラジンへの挑戦者”となったホールです。そのオープン時も確か居抜き物件だったかと。元々は、家電量販店の“さくらや”があったところです。


○マーブルの跡地(〜2008年・建物残存)
中央通りと国際通りの間にあったパチスロ専門店。調べてみるとマーブルだったのは2006年までで、2年間ほどディアーズ新宿店だったらしい。マーブルは老舗店舗で、1991年頃には“打ちながらテレビが見られる台間テレビ”があり、椅子もソファーで注目されたところです。私も噂を聞いて打ちに行きました(笑)。2008年以降は長く「山陰炉端かば」という居酒屋さんでしたが、コロナ禍もあって撤退してしまった模様。


○NASAの跡地(〜2001年・建物残存)
国際通りの奥で新宿アラジンの向かいにあったパチスロ専門店。立地的に新宿アラジンに負けて撤退したと思いきや、運営会社は同じだった模様。閉店した2001年には新宿アラジンのパチスロコーナーが増設されてイケイケになった時。役割を終えての撤退だったのでしょう。そこから長らく居抜きでコンビニエンスストアが入っていましたが、違うお店になるようですね。マーブルの跡地といい“その次の業種”も終わってしまうことに時間の流れを感じます。

▲エスパス日拓新宿歌舞伎町店(左)・マルハン新宿東宝ビル店(右)

エスパス日拓新宿歌舞伎町店は2001年オープンですが、以前から西武新宿駅前の歌舞伎町側はエスパスの系列店で埋め尽くされておりました。ここら辺りの小型店を買い取ってエスパスの独占地域とする作戦だったのでしょう。これと同様の展開は渋谷の井の頭線の出口付近でも見られます。

そこに2015年から登場したのが、マルハン新宿東宝ビル店。マルハンは、それ以前から歌舞伎町に進出しており、二強時代が長く続いております。

▲かつてパチンコホールがあった場所(赤)・現存するホール(緑)

西武新宿駅前のエスパスは、系列店も営業。歌舞伎町一番街と花道通りに面したところが東宝ビル。かつてはコマ劇場があったところです。コマ劇場にかけて多くのホールがありましたけれども、二強以外のホールのすべてが姿を消すこととなりました。


○風雲児の跡地(〜2015年・建物残存)
青梅街道から東宝ビルにぶつかる“ゴジラロード” の入り口もホールの跡地。2005年まではスターダストネオというホールでした。1/1000以下のBIG確率の機種で、1日に40回も引いたのが思い出(笑)。風雲児になってからは低貸し専門店に。「大江戸漫遊記」などレア台を触っておりました。


○747の跡地(〜????年・建物残存)
ゴジラロードを入ってすぐ。地下にあったパチンコ専門店だったかな。入った当時はまだ私がパチスロをやっておりませんでした。当時の一発台で当たれば“そこまでにハマった分だけの出玉”を獲得できるリアル“カイジの沼”方式という射幸性に心を奪われました(笑)。1990年代後半には閉店していた記憶。


○BIS-IIの跡地(〜????年・建物なし)
ゴジラロードから右に行く小路に入ったところにあったパチスロ専門店。東南口の“てんとう虫”なき後、ユニバーサル系のロケ店舗(全国発売前のテスト導入)でした。2000年2月に全国導入された「グランシエル」も1999年11月辺りから打てた記憶。女性店員さんの制服がなかなか際どかったホールでもありました。現在は居酒屋さんが集ったビルに建て替えられています。


○宇宙センター新宿店の跡地(〜2010年・建物なし)
ゴジラロードの真ん中辺り。ここも最盛期は1990年代だったかと思います。等価交換では営業しにくいアマい機種を“等価交換だけど1日二交代制”とすることによって、存在感を示していました。場所柄、メディアの方がデータ取りで新機種を打っているのも見かけましたね。


○エルニド本店の跡地(〜2006年・建物なし)
ゴジラロードで宇宙センターのちょっと先。建物が残っていないのできっとこの辺という感じです(笑)。パチスロ専門店でしたが、1990年代後半でも東京にありながら7.6枚交換という超低交換率。仲間内では“(7.6枚交換だった)大阪府飛び地”などと揶揄されておりました。それなのに、設定状況はそれほど芳しくなかったという・・・。


○モナミの跡地(〜2007年・建物現存)
ゴジラロードの奥、新宿東宝ビルの目の前にあったレトロホール。2006年の4号機以前の“みなし機撤去”まで、1.5号機の「ニューペガサス」を設置し続けた漢なホール。まあ、それ以外も香ばしい挙動を見せる機種が多かったですが(笑)。客層からして一風変わった非日常を体験できたので、締め切り間際なのにネタが思いつかない時などに覗いておりました。


○マルハン歌舞伎町店の跡地(〜2016年・建物現存)
新宿東宝ビルの目の前。最終的にはマルハン歌舞伎町店となり、東宝ビル店ができた後に集約される形で閉店となりましたが、2003年まではオデヲン新宿店。2004年〜2013年まではオリエンタル・パサージュ新宿店として営業を続けてきた建物になります。オデヲンは「裏モノのこのバージョンを打てるのはこのホール!」と掲載される時代からの老舗店。私もそれに釣られて溶けまくりました(笑)。


○グリンピースタワー新宿店の跡地(〜2009年・建物現存)
青梅街道に戻って、ドン・キホーテの先。現在は、同じ経営のカラオケ店パセラになっている建物です。グリンピース新宿本店が聖地と書きましたが、ここも負けぬほどの功績がございます。上層階に機種の保管庫のようなスペースがあり、そこでパチスロを楽しむにあたっての知識や技術を無料でレクチャーする“パチスロ大学”を毎週開設しておりました。後にそのスペースはスロゲーセンの先駆けとなったりも。機種揃えも素晴らしく、初期4号機世代にはこちらのほうが刺さったかもしれません。


○グリンピース5歌舞伎町店の跡地(〜2014年・建物現存)
タワー店のちょっと先。等価交換時代もグリンピースの本店とタワー店は7枚交換で遊べる営業となっていましたが、世の流れに従ってか、等価交換営業の店舗を新設することとなりました。当時は、7枚交換の店舗は、店舗名の後に7を。等価交換形態のところは店舗名の後に5を付けて分かりやすくしておりました。5号機時代となって、どこも等価交換やそれに近い営業形態となっていきましたが。


○トップスの跡地(〜2004年・建物現存)
グリンピース5歌舞伎町店の先。地図ではこのホールが最東の位置になります。なんか普通に出していたら、外国人の方がきて「そんなに持っているなら、ちょっとメダルちょうだいよ」という感じでドル箱を奪い去られそうになって以来、怖くて近づいておりませんでした。まさにお土地柄ですな(笑)。


○G-7の跡地(〜2007年・建物現存)
地図では一番南側。“笑っていいとも!”を収録していたことでもお馴染みのスタジオアルタの真裏にもホールがありました。G-7の前にモナコというホールだったんですが、とにかくここは良い思い出がありません(笑)。パチンコを打てば、フィーバーしたのにV入賞せずパンクしてしまう極悪釘だったり、ライターになった後(G-7だったと思う)にカチカチ君のようなものを使って小役を数えていたら「ウチのホールはデータ取りお断り」と言われたり。

▲かつてパチンコホールがあった場所(赤)・現存するホール(緑)

最後にオマケで新宿三丁目。現存しているホールはキコーナ新宿3丁目店のみ。ここも元は金馬車 新宿店でした。


○信長の跡地(〜2010年・建物現存)
青梅街道の新宿五丁目東交差点脇にあったパチスロ専門店。2004年まではゴールドというホールで「リズムボーイズ」などパキパキする台もございました。ちなみに、この近くに辰巳出版がかつてあったので、よく必勝本のライターさんをお見かけするところでもありました(笑)。閉店後の1階はずっとコンビニ。地下は長らく空いたままとなっていましたが、バーが入ったようです。


フジの跡地(〜2005年・建物現存)
寄席で有名な末廣亭の並び。2005年に惜しまれながら営業を終了するまで、2号機の「アニマル」と3号機の「リノ」が現役稼働していたホールです。朝10時の開店にお店が開かず、15分ほど経って店員さんが慌ててタクシーで駆けつけるような牧歌的なところでもありました(笑)。サンドを新札に対応しないままにしているところで薄々閉店が近いと気付きましたね。ホルモン横丁になった後も「ここはアニマルがあったあたり」とかシマを思い出します。


ということで、駆け足気味となりましたが新宿の30年前〜10年前あたりを振り返ってみました。人が集まる場所だからどうにでもなる・・・のは大間違いで、これだけ語れる(本当はもっと語りたい・端折ったホールもあります)個性があったものの閉店を余儀なくされてしまったのです。続いているホールよりもなくなったホールのほうが圧倒的に多いのです。それも6号機登場のずっと以前に。

そして残るは大手だけ・・・というのは、全国規模で同じなのではないでしょうか。もちろん、お客さんが少ないところで打っても勝てる確率は低そうというのもあります。そのような我々打ち手の行動も個性ある中小店にとっては逆風なのかなと思わざるを得ません。

まあ、このように振り返ってみて。意外と建物は残っているな(居抜きで次の物件になっている)と感じました。また、2007年前後に閉店したホールの多さも際立ちますね。4号機から5号機への移行で、売り上げ減や新台の調達に耐えられなくなったホールが多かったことを物語っています。5号機から6号機も同じですね。時代は繰り返しています。