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時代が変わる瞬間

2018年02月15日

インフルだの腰痛などで寝正月ならぬ寝如月になっています。時差のない平昌五輪、実に助かっています。普段あまりテレビ放送されない競技を見られるのも楽しみです。

五輪は当然ながら4年間隔。一部の競技以外はライトにしか見ていないので、強かったと思った選手が若手に抜かれていたり。新たな価値観を持ち込む若手を見て、世代交代を痛感することもあります。

冬期五輪でいえば、女子でもトリプルアクセルを跳んだ伊藤みどりさんでしょうか。その当時のフィギュアスケートにはコンパルソリーという図形を正確になぞるものがありました。

これが苦手でして。眼鏡片手に頑張っていたのを思い出します。毎回、出遅れスタートからショートとフリーで巻き返すのが定番でした。前々から議論はあったそうですが、彼女の活躍がコンパルソリーの廃止や女子フィギュアにもジャンプ重視の時代を到来させたのでしょう。時代の先駆者です。

ということで、今回のテーマは“時代が変わる瞬間”。6号機時代になって最初の更新ですから。

奇しくも伊藤みどりさんが最後の五輪コンパルソリーに挑んだカルガリー冬期五輪の1988年は、パチスロだと2号機時代の。アルベールビル冬季五輪で銀メダルに輝いた1992年は、4号機時代の幕開けとぴったり重なります。

1988年はまだ私、パチスロ打ってないですけどね(笑)。


パチスロが法整備されたのは1985年のことになります。阪神ファンなら忘れないバックスクリーン3連発のあの年です。うん、私はまだ中学2年生。

それまでもパチスロ機はありましたが、全国で統一された規格がなく。各都道府県の公安委員会に設置許可(これが検定のルーツ)をもらって設置していました。なので、地域によってバラバラだったのかな?

この1985年に、それまでの「風俗営業法」が大幅に改正され「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」と名前が長くなりました。思春期の中学生だっただけに、性風俗関連のニュースをやっていたのは覚えていますが、パチンコ・パチスロの話題は記憶にございません。

それでできたものを1号機と呼びます(若干改修後は1.5号機)。ストック機のような吸い込みと連チャン性があったため、たった3年後の1988年に2号機に改正されました。この経緯はわかりませんが、不正改造機対策(俗にいう裏モノ)と射幸性対策だったことでしょう。この流れによる遊技機規則改正は5号機まで続くことになります。

2号機から3号機への規則改正は1990年。この頃、私はパチンコデビューします。打っていたのは羽根モノばかり。『マジックカーペット』が初打ちの機種です。

矢継ぎ早に規則改正されたこともあり、ホールには1.5号機から3号機が併設されることになりました。一般的に人気があったのは2号機でしたかね。

1.5号機はストック機のような連チャン性はありましたが、インターネットどころかメディアも普及していない時代。身を削って中身を理解し、台上のデータカウンタもないのにハイエナをする……まさに鉄火場。ギラギラした視線が怖すぎて近寄れなかったのが本音です。ま、じきに馴染みますけど(笑)。

2号機は、初期5号機のようなゲーム性でした。枚数が固定されているボーナスを中心に、小役が揃いやすくなる“フルーツゲーム”を搭載。小役が連続して揃うとフルーツかなとドキドキできたり。しかし、3号機はフルーツが廃止。ボーナスの獲得枚数など出玉も減らされてしまったため「2号機のほうが出るし面白い」と思われるのは必然です。

結局、3号機の大半は裏モノ化することに。その対策として1992年に規則改正され4号機時代となりました。1993年と早々に『ニューパルサー』という大ヒット機種も生まれましたが、この頃は混沌としていましたね。私も含め、裏モノの虜になってしまっていたのです。1995年くらいまで、ほぼ3号機を打っていました。


ここまでの1号機から3号機時代、ついでに言えば4号機の最後まで。今のような認定(検定切れ後の設置許可のようなもの)制度はなかったかと思います。

もちろん中古機として新たに導入するとかはできませんが、動く限り設置して良かったのです。ホールの倉庫には、部品交換用にバラされた実機が転がっていましたとも。認定は、正確にいえば“部品交換”の許可なんです。

ただ、部品を新たに調達することは難しく。徐々に壊れていったこともあり、数年かけてほとんどのホールが4号機のみでの営業となっていきました。ここでドロップアウトした裏モノ打ちも多かったですね。ほぼ適当打ちで良かった3号機と異なり、4号機の小役狙いは面倒臭いですし。

ここまでコロコロと変わってきた規則ですが、4号機は1992年から2005年までと実に長かったです。いろいろな緩和と規制を繰り返し「リーチ目&技術介入全盛時代→大量獲得機&CT機→爆裂AT機→ストック機」とメイン機種は変遷していきました。

そうなんです。2005年なんです。規則上は。4号機の終焉と言うと2007年を思い返す方が多いかと思います。それは4号機が撤去された“完全5号機時代”の幕開けなのです。

2005年? ずっとストック機のページ作りをしていましたよ(笑)。打っている人も、5号機時代になったとか実感した人はゼロだったかと。まさに今の状況です。なにも変わっていません。若干、認定を取らずに閉店したホールもありましたけど。それは4号機末期と同じです。


4号機の最後は段階を踏んで入れ替えが進んでいきました。まず2006年6月に“検定切れ”となっている“みなし機”の一斉撤去。直近で作られた機種は、その後は検定が切れた時点での撤去となりました。

認定が加わった5号機から6号機も同様かと思います。まず、検定&認定切れの機種の撤去期限が決まり、あとは許可切れまで設置可能。前倒しで認定を取った多くの機種は、2021年1月末まで置けることになります。最後まで粘るホールが多ければ、ココがピーク。

この許可切れは、保通協の試験の結果が出たところから起算されるので、最終的に完全撤去となるのは、2021年の3月とか4月になるでしょうか(ギリギリで持ち込まれる機種もあるので)。ようやくここで“時代が変わった”と思うことでしょう。

ぶっちゃけ、5号機時代になったと私が感じたのは、2006年の“みなし機”撤去だったんですけどね。15年近く打てた私が打ち始めた頃の機種もなくなったので。かなりセンチになりましたとも。

歴史に触れられるものでなければ、文化にはなりえないのです。

検定や認定といった縛りで、不正改造されないような対策も必要ですが、誰が歴史と触れ合える場所を保っているのか。それはパチスロゲーセンばかりです。これで良いんですかね? というか。この積み重ねが叩かれやすい業界を物語っている気がします。

打てるうちに打っておく。時代の変わり目でユーザーができることはこれと、新たな楽しみや勝ち方を模索するしかありません。懐かしい機種を見つけたといって闇スロとか手を出してはダメですからね!


この1ヶ月で全国的に流れたニュースが、規則改正の施行と闇スロの摘発だったものでして。両方とも突っ込みどころが満載でした(笑)。

いかにも2月1日から出玉が従来の2/3になるかのような報じられ方をして困惑。そんなすぐボタン1つで出玉を変えられるような機種なら簡単に裏モノができますわ。……って、これはまだ良いとして。

闇スロ屋に一言。『クランキーコンドル』とはセンスなさすぎ。改造して出玉率を抑えているんでしょうが、これを見て懐かしいと思うのは、設定1でも出玉率104%を知っている世代。大半は安定しない裏モノが嫌いな方向なんですけど。

まったく闇スロの客層にはマッチしません。有名な機種を並べておけば……という感じなんでしょうね。もっとも4号機時代の爆裂機はもはや残っている台が少ないとも聞きますが。

ラインナップに関しては、今のホールも似たところがあるかも。全国的に話題とか中古価格が高いとかではなく、ちゃんと目の前のユーザーを意識してくれて選んでくれているところを探したほうが楽しめるし、楽しませようという設定配分のことも多いですね。それは1号機時代からずっと変わりません。

そういったホール観察眼も使いながら、これから完全6号機になるまでの約3年。懐かしみながら新しいものにもトライしていただければと思います。