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ゲームとパチスロと

2018年05月15日

WHOが“ゲーム依存症”を国際疾病分類に加えるとのニュースが話題になっていました。

ご存知の通り、パチンコ業界も依存問題対策がここ数年の課題となっています。私自身は、まったくギャンブル依存症ではないと思っています。その代わりにゲーム依存症の可能性は高いと自覚しています。

私が意識するのは“対価”ですかね。絶滅寸前の好きな機種を見つけたら、お賽銭を入れてしまうのもそう。ただ、どうせ設定はないのでご挨拶程度。スロゲーセンで遊ぶのとかは最たる例。リターンゼロは確定しているんですし。

アマいホール状況にアマい機種。その環境で育ったから経済的に破綻することもなく、続いただけなのかもしれません。破綻していたらギャンブル依存症とカウントされたことでしょう。カウントされようがされまいが、どちらでも私自身を変えられることではありませんけど。人それぞれのケースなんですよ。

ファミコン世代のど真ん中。初代「スーパーマリオブラザーズ」とか。方眼紙にMAPを書いて隠しブロックの位置とかメモしていましたもん。その延長ですよ。リーチ目探しとか、パチスロを調べるのが好きなのは。それに熱中するあまり、再就職することをすっかり忘れ。毎日のようにパチンコ屋に通い詰めていたわけです。

いかん。暗いな、この話題(笑)。


もちろん、若い方でもいらっしゃいますが。パチスロ機をコツコツ調べるのが好きなのは、団塊ジュニアと呼ばれる40代が多いような気がしています。私も含めて。それは、やっぱりファミコン世代だからでしょう。

いまでこそ莫大な賞金の出るゲーム大会が開催され、プロゲーマーも生まれています。“eスポーツ”として2022年からはアジア大会の種目にも採用されることになりました。しかし、当時はそんなルートはございません。

ドラゴンクエストの“ふっかつのじゅもん”を間違えてメモして頭を抱えた世代にとって、身近なゲームプロ(でなくてもお金を増やせる手段)がパチスロだったのではないでしょうか。奇しくも、パチスロが法制化された1985年に登場したのが「スーパーマリオブラザーズ」です。歴史が浅いのも対等に勝負しやすいことにつながりました。

「ストリートファイターII」がスーパーファミコンに移植されて大ヒットしたのは1992年。このときの中高生がパチンコ屋に入れるようになる1995年以降は『クランキーコンドル』など“目押し技術で勝てる”技術介入機全盛時代となっていきます。これは訓練していた世代のほうが強い。ゲームで培った反射神経や洞察力が、お金の増える方向に活かせちゃったんですね。え、私? 昇龍拳出せませんがなにか?

こうして、ゲーム人口を取り込みながら大きくなったのがパチスロの市場でした。歴史あるゲームタイトルがパチスロに移植されやすいのも親和性の高さからでしょう。


そんな歴史もありながら、いまは逆にパチンコ・パチスロ業界がゲーム業界に押されていると言われています。

ちょっと空いた時間にどこでもできるスマホゲームの利便性には確かに勝てません。パチンコ・パチスロはどうせ勝てない。それならいつも負ける分を課金すればなんかしら使えるキャラが手に入ります。

また、匿名性という守られた中でチャットができるものも数多くあります。課金誘導ゲームは、こういった“人と人とのつながり”も上手く利用していると感じます。自己顕示欲で競い合わせるのだけではありません。

射幸性だけでは、ヘビーユーザーだけになってしまいます。その中で勝てなくなってくると脱落していくのみ。多くのユーザーから薄くとも課金させるには、グループ戦などを作って、仲間の役に立ちたいとか思わせるのが一番。そこにいやすくするためのお布施みたいなものですね。

この2つ。パチンコ・パチスロ業界が、どこかに置いてきてしまったものなんです。

ゲーマーだった私が、情熱をパチスロに傾けるようになったのは「勝つチャンスがあるから」でした。うん、ちょっとした射幸心なのは否定しません。いかに勝つ確率を上げるか。そういうところが面白かったし、報われる時代でもありました。

一部の裏モノを除けば、まったりしたノーマルばかり。ビギナーズラックが起こりやすかったのです。当たりがこまめに来る機種ほど、小さな積み重ねで得をしているのも実感しやすいです。ノーマネーフィニッシュとか、ヒケるチャンスを増やせたからOKなんてすぐには思えないことでしょう。

“勝てるかも”ではなく“どうせ負ける”この方向にユーザーの意識は変わってしまいました。遊技人口が減少しても売上減の顕在化は一歩あとでした。その分、より多くの人が負けたんですよね。スマホゲームに限らず趣味の多様化とか言われていますが。どうせ負けるからほかの趣味を探そうと思われてしまっていることを忘れています。

負けずに遊べる程度の機種がきちんとあれば、勝手にコミュニティもできていくんですよ。深入りする人、謎多き人。いろいろいます。どう付き合うかは匿名のチャットと同じで、ある程度自分で線引きするもの。ただ、決定的に違うのは“顔が見える”ということです。そして、通える程度にはご近所さんということ。

むしろいま、ここもゲームに負けています。そりゃ業界縮小となりますよ。

こういったゲームにはなかった長所に惹かれて、フラフラと無職時代が長くなってしまったんですけどね。これもなにかしらの依存症になるのでしょう。知らんがな。あくまでも私のケースであって、ステレオタイプに分類されたくないわっ(笑)。


WHOの疾病登録の方針を受けて、アメリカのゲーム業界団体ESA(Entertainment Software Association)が異議を唱えているそうです。要約すると「20億人以上が数十年にわたって楽しんでおり、中毒症状がないと客観的に証明されている。疾病に指定することで、うつ病など本来の精神疾患を見過ごすようなことにならないか」ということらしい。

“客観的に証明”は甚だ怪しいですが。内在化していた問題がギャンブルやゲームで表面化することも多いので最後の部分はまあ納得。

そんなところよりですね。そもそも羨ましくてならんのです。

20億人以上が数十年。パチンコ人口は日本の総人口の1/10を下回りました。大半の人は興味がないかアンチなわけです。「国民の余暇だから許してよ」という大義名分がなくなって何十年経つんだろう。

そしてなにより、こうやって声明を出せる業界団体ですね。パチンコ・パチスロにも業界団体はあります。ええ、数えきれないほど。まったく一枚岩ではなく。パチンコ・パチスロがどういうもので、どのような未来を描いているか伝わってきません。博物館など個人任せなのがいい例で、目先のお金にならない歴史は切り捨て続けています。だから文化にならないんですよ。

その時の警察に作られた方針を遵守するのみ。許可産業なので致し方ない部分もありますよ。ただ、こういう声明も警察とか狭い世界にのみ言って隠れているようにしか思えません。“ユーザーのために”というニュアンスのある声を上げる気がない。少なくとも、昨夏のパブリックコメントのときはそう感じましたね。その点、ゲーム業界のほうが一歩先に進んでいるのではないでしょうか。

って、やっぱり暗くなりましたね(笑)。