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コンサートで振り返る日々☆

2019年03月05日

パチビー読者の皆様!一週間楽しみにお待ちいただけましたか?

毎週火曜日更新「こんな塔子でイイですか」はじまり、はじまり~

先日大好きなミュージシャン、シンガーソングライターの柴田淳さんのライブ(コンサート)を見てきました。なんと6年ぶりのコンサートだそうで、満席のNHKホールから見た大好きな歌い手さんの歌声は控えめに言っても最高以上の言葉が出て参りません!参りませんだけど参ったよ。降参。

とても重くて辛いバラードがヒットしている柴田淳さん。世代が近いということもあり、歌詞の変化も常に共感するものが多く、私は辛いとき、悲しいとき彼女の歌声を支えにしていました。
ボリュームを最大にして部屋の中で泣いた日。帰りたくなくてファミレスでイヤホンから流れてくる歌声に救われた日。随分長いこと、その歌声を頼りにしすぎていたようでした。
登場の瞬間から、せきを切ったようにドバドバ涙が出てきて、どんな瞬間にその曲たちを聴いていたのか思い出すし、彼女のコンサートを見るのははじめてだったので、この世に存在する人だったのか・・という変な感動もあって、うぅぅぅぅ・・と変な嗚咽みたいなものも出てきて、落ち着いても、また曲の歌詞がこれまたよく聴こえて、浸って泣いて、アンコールで終わってほしくなくて泣いて、帰り道でも一日の出来事が信じられなくて泣いていたんです。

私は、常に目の前のことばかり頑張っている。未来なんか見えたことはない。いっぱいいっぱいなんだもの。それでも、ずるいことや逃げたことは無いように思います。
いろんな捉え方があるから、それでも私のことをずるい人間だという人も結構な割合でいるのかもしれない。でも私なりに、考えられるところまでしっかり考えて、ふさぎこむことも少なく前に向かってやってきたと思う。

でも前を向くことって当たり前ではなくて、当たり前に向いているかもしれないけど、向けば向くほど自分の至らなさが目に付くから、ただ生きているだけでも、現実を直視してしまうと苦しくてたまらないときがありますね。

変えられないことはたくさんある。生まれた環境、作ってきた歴史、そして顔立ちや、足の長さ。でも、私でない何かになろうとしたことはない。誰かになりたいとは思わない(お芝居は別ね)。思わないようにしてきた。
立ってるのも辛いくらい自分のことが嫌いなときも、違う人間になろうとしないで自分のままで成長しようとすることは、とてもとても苦しいことだ。他の人はもしかしたら当たり前にそれをこなしているんだろうか?他の人のことはわからないが、普通に軽々と出来ることだとは思わない。一日一日がとても重いんです。

そんな私は、あるときから、この重くて辛い「共感できる歌」に、自分の代わりに泣いてもらうというやり方を身につけた。ある意味逃避でございます。
曲が泣いているから、自分は泣かなくていい、そんな感覚。例え涙が出てもそれは私のことじゃない。曲のすばらしさで泣いている。そうやって納得をさせる。
気を張れば張るほど、自分の気持ちに正直になることは出来なくなり、あるときふっと心がどこにあるのかわからなくなる。そんなとき、自然と涙の出る歌は、自分が今どこにいるのかを思い出させてくれる。それほどになくてはならない、依存しているような感覚でした。

コンサートで泣いて泣いて泣いて、終演後会場のトイレで顔を洗った。
鏡に映った自分の顔はなんだかとてもすっきりとしていた。
私の代わりに泣いてもらった楽曲に会いに行くことで、辛かったことや苦しかったことを埋葬出来たのかもしれない・・なんてちょっとカッコイイことを思ってしまいました。

思い出にもお葬式があっていいと思うんだ。何か儀式をして、あとはいいことだけ思い出そうって決めてしまってもいいと思うんだ。辛いことはどうせ何度も決めたって思い出すから、少しでも思い出さなくていいように儀式をするのも、自分にとって、救いになるのではないかと。
そのためにたくさんの娯楽があるんだと思う。なんにせよ私は、そのミュージシャンに出会えて共鳴できたことが嬉しいです。
Tシャツとパンフレットも買ってしまいました~素敵!

そんな現在は、自作の曲を自宅のPCソフトで自分でレコーディングした過去の歌を聞き返してこのコラムを書いている。何度か書いているけど、筆者は自分で曲を作り、音楽活動をしていたことがある。その活動はAVをやってきた時間よりもはるかに長く、ほぼほぼ自分の人生の半分くらいは音楽をやっている自分で過ごしてきたのです。

あんなに捨てたくなくて何者にもなれないのにずるずる続けてきた音楽は、私を不幸にしかしなかったと思った。「周りの人がそう言っていたから」。
結局何者にもなれなかったんだからもう少し早く辞めてたらよかったのにね、そんなことを言う人も居たし、無駄だったと思っていた。

映画の「嫌われ松子の一生」のラスト間際のシーンで、ゴミ袋がカラスに変わる。「意味ないね」「そんなのちっとも意味ないね」っていう感じととても似ていますね。私の中でいろんな人の声が聴こえてきていた。バカだった、バカみたいだったと思っていました。

「いや。違った」と、コンサートを見て思えた。「私は、こうして意味のないことを十数年続けて、自分が大好きな曲を自分で作れるという技と、満足いく歌い方を身につけた。」
「私は、こうして歌に何度も救われる柔軟な脳みそを失わずに大人になった」お金にはならない、外部に向いたものでもない。でも、日常を過ごすために、自分を救うのは最終的に自分だけ。私は長い長い寄り道をして、決して屈することのない精神を、壊れることのない心を手に入れた。
人生は終わりに向かうにつれ、いろんな別れがある。きっとこれからの方が辛いことが待っている。私は大事な物を持っているから、きっと自分だけでなく大事な人の力にもなっていける。そんなことを思いました。

大層なことを言いました。そんな風になっていけたらいい。自分の人生もどうせいつかは終わってしまう。なので、好きな人の笑った顔を、誰かが喜んでくれる顔を出来るだけたくさん見たいと思う。

まとまっているようないないような感じですが、本日はこれまで。いつか私を好きなあなたに私が書いてきた曲を聴いて欲しいなと思う。いつになるかはわかりませんけどね。

ではまた来週!お楽しみに~╰(*´︶`*)╯Thank you.♥

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