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街のパチンコ環境の移り変わり(代々木編)

2021年11月15日

以前、下北沢のパチンコ環境(http://www.pachibee.jp/ivent/view/1888)を書かせていただきましたが、その第二弾となります。今回の場所は東京の代々木。新宿の隣にある地味なターミナル駅です。下北沢は、私が初めてパチスロを打った土地でありましたが、この代々木はその1年前、1990年に初めてパチンコホールに足を踏み入れたところだったりします。
みなさんは、代々木に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。1964年の東京五輪に際して作られ、多くのコンサートが開かれた代々木第一体育館や、代々木公園が有名かもしれません。

が、これらは隣駅の原宿が最寄駅。新宿からも普通に歩ける距離で、特定の人以外には用事がほぼありません。東京都民でも電車で通ったり乗り換えたことはあるけど、降りたことがないという人が多いかと思います。では、この駅で降りる特定の人とは?

大学受験生です。今の受験産業には詳しくありませんが、1990年当時の代ゼミは三大予備校に数えられ、その中でもマンモス校として知られていました。
私も大学受験生だった1990年に、ここ代々木ゼミナール(略称:代ゼミ)に通っており、そこで悪友に誘われ初めてパチンコホールの中に入ってしまったのです。

三大予備校の特徴を端的に表した言葉として「生徒の駿台・机の河合塾・講師の代ゼミ」というものがありました。優秀な生徒は駿台予備校へ、環境が整った河合塾。それに対し、有名講師による人気授業をウリにしていたのが代ゼミとなります。詳しくは分からないですが、今の東進ハイスクールのような立ち位置ですかね。当時もありましたけど。

いずれにせよ、駿台予備校や河合塾と比べれば、刺激に弱いというか誘惑に弱い人種が集まっていたような気がします。私も含め(笑)。しかも浪人生は、19歳なわけです。パチンコ屋に入れる年齢となっています。また、今も昔も代ゼミ以外に多くの専門学校があります。20歳前後の人口がやたらと多い街。それが代々木なのです。

そんな生徒たちをターゲットにしたのか、1990年の代々木駅にはいくつものパチンコホールが存在していました。私も途中の過程は追い続けていなかったので、主に30年前の記憶にタイムスリップしたいと思います。


◯トレンディドラマのロケ地
平和会館の跡地(???〜???)

JRの線路から見て、唯一の北側にあった店舗。1996年に日本テレビで放映されたドラマ「グッドラック」のロケ地となった店舗です。松本明子さんがホールのオーナーという設定。釘調整した台の情報が漏洩など、現在だったら間違いなく地上波で流せないエピソードも。25年前、まだまだ文字通り国民の娯楽だった時代ですね(笑)。

代々木で降りずとも電車から見える場所ということでウォッチしておりますが、昭和から平成初期のパチンコホールの面影を残した外観のまま、もう20年以上も居酒屋さんが入居し続けております。


◯その当時から交番の真裏
パリスの跡地(???〜???)

駅のメイン改札を出てすぐという好立地にあった超小規模店。他店と同様、朝イチにBIGが仕込まれたモーニング台はあったものの、メインに設置されていたのは2号機の「アラジン」。付加機能の集中役に突入させて、BIGもパンク役も引かなければ大量獲得を見込めるという、当時としてはギャンブル要素の強いマシンだったゆえ、お金を持っていない予備校生には厳しかったかと思います。ここは閉店がもの凄く早かったような。


大都技研系のホール
大王の跡地(???〜2010)

5号機時代まで頑張った数少ないホール。このビルの上階には周辺機器を取り扱う大都販売のショールームがあったりしました。

閉店時パチスロコーナは1階でユニバーサルの7R筐体などありましたが、1991年当時は地下フロアの奥の片隅に「デートライン銀河2」があった程度。パチンコが強く盛況なホールでした。私も一発台を打った記憶はありますが、何分初心者時代につき機種名は覚えておりません。


2軒同時に再開発?
代々木プラザの跡地(???〜2001)
代々木ゲームセンターの跡地(1991〜???)

まとめて再開発されているように見えますが、左側と右側で別のビルが建っていました。右側の代々木プラザは地下のみのホール。1990年に見た時も「古いだけでなく、いつ営業を終了しても不思議ではない」という印象が強く、この原稿を書くにあたって調べてみたら、2001年まで営業していたと分かり驚愕。

左側の代々木ゲームセンターは、1990年にはその名の通りゲームセンターだったものの、1991年に同じ名前のままパチンコホールとなりました。新規開店で羽根モノの「おジョーズランド」を打った記憶。パチスロは予備校生に不向きの「アラジン」がありましたが、モーニングでBIGだけではなくアラジンチャンスのことも。


◯猜疑の砦が陥落
アクアス代々木店(???〜2021)

1990年当時は、パレス舞という店舗でした。そこから居抜きでの売却を繰り返すこと3回。計4店舗がこの地で“長らく代々木唯一の店舗として”営業を続けてきましたが、先月10月15日をもって、閉店となりました。さらなる居抜きで代々木のパチンコホールが守られるか、このまま終わってしまうのか。見守りたいどころであります。

250台規模は小さめという時代になっていますが、当時の代々木では最大級。実は、このホールが私の初パチンコのホールでした。朝イチに200円分の玉を借りていれば、羽根モノのV入賞をしてくれる。そんなモーニングサービスがあったからです。負けても200円。まさに予備校の街ならではの初心者ホイホイですな。

その「マジックカーペット」から始まって、セブン機の「ファンキーセブン」や権利モノの「サイクロン」まで。いろいろ打ち散らかすこととなりました。思うツボ(笑)。パチスロは2号機の「スーパーセブン」ともう1機種ありましたが、何だったか記憶にございません。


ということで、アクアスのその後次第ですが、最盛期には6軒あった代々木からホールが絶滅することになりました。
代ゼミも昔ほどの勢いはないようですし、新校舎で人の流れも変わったことでしょう。そして、下北沢もそうでしたが、若者の街ほど苦戦していますね。ちなみに、下北沢編(http://www.pachibee.jp/ivent/view/1888)にあった老舗ミナミですが、閉店し残すはカレイド1軒となってしまいました。

代々木は、その下北沢以上に難しい土地だと感じます。パチスロコーナーを加熱式タバコOKエリアとするテコ入れを図っているホールも多くありますが、そのエリアは20歳未満立ち入り禁止となります。こと代々木に関しては“19歳の人口が多い”ので、その手法も使えません。また、新宿のお膝元ということで十分な住宅街がありません。人はいるのに、それ以外の人を呼び寄せなければならない土地と感じます。それも近くの新宿と競合しながら。

仮に、その19歳人口が通ってくれるようになったとして。予備校生は基本的に1年しか代々木に滞在しません。専門学校生にしても2年程度でしょう。私もそうだったように、生活環境が変わればわざわざ代々木まで打ちにきません。せっかく育てても他店に奪われる比率が圧倒的に高い土地でしょう。って、アクアスの跡地がホールになるのであれば、その前からネガって申し訳ないですが。

30年前は、パチンコホールに足を踏み入れているという“ちょっとした背徳感・スリル”を楽しむ19歳が多くいました。それに対して現在は、小さな道の踏み外しもしない若者が増えたのかもしれませんね。そんなことを感じた久々の代々木散策(全軒徒歩3分以内)でした。