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勝ち方の変遷を振り返る

2024年02月15日
ふと思い返せば、“パチスロの勝ち方”は設置されている機種に合わせて、いろいろな変遷を遂げてきたように思います。現在は、ピンならばハイエナ的な狙い方、大人数であれば染め系をやってくれるホールで攻略する感じでしょうか。

プロならば、その時々に合わせてアップデートしろよと言われるかもしれませんが、それぞれ得意な時代やそうでない時代があったりもします。そうやって新しい勝ち方を知る世代に取って変わられていくものかもしれません。

そこで、昔はこんな立ち回りがメインだったんだよと、その時代を見てきた人でないと語れない部分を振り返ってみることにします。あくまでもここに挙げるのは一例。それ以外の勝ち方をしていたよという方も多くいらっしゃるかと思います。いや勝ち方なんぞ、他人とカブらない方法のほうが長続きします。そして、普遍的な手段のほうが長く使えると思っております。

いつの時代もベストだと思うのは「自分にとっての優良店でタコ粘ること」だと思っています。「アイツにしか勝てない」と言われるくらいが良いんです。実はダメなホールという意味もありますが「俺には狙い方がわからない」と言われているのと同等ですから。そんなみんなが分かるようなものなら、台の競争率が上がるじゃないですか(笑)。

いかん。いきなり脱線しました。それでは3号機あたりから振り返ってみようと思います。

○3号機時代(1992年頃〜)

2号機からBIGの出玉を減らし、ゲーム性にも制約をつけられたのが3号機です。そりゃ、普通のホールは買いません。普通のユーザーは打ちません。だって普通に設置されている2号機をショボくしただけなんですもの。

この当時も新台が売れないと困る人たちはいました。販売会社さんとかですね。結果的に3号機を売るため、大半の機種で「メーカーが意図しない」チューンナップがなされました。簡単に言うとやたら連チャンするとかですね。

このゲーム性、4号機のストック機などで、後に合法的に再現されることになります。またそれを模倣して作られているのが5号機後半以降のAT機。要は、今のパチスロのルーツは3号機の裏モノということになります。

もちろん、天井狙いやゾーン狙いといったゲーム性も多くの機種でありました。ただ、当時の玄人は「天井狙いは最終手段」であって、仕方ない時にはやることもありましたが、それをメインには据えていなかったかと思います。

その理由として。7枚交換などがメインで、換金ギャップが大きかったこと。そして、歩いて行ける範囲のホールに常駐することが一般的で、ハイエナ的な戦術をすると、毎回同じような人がターゲットになってしまい、結果的に自分の首を絞めることになったからだと推測します。

この時代に必要だったのは、洞察力だったかと思います。なんせ台にゲーム数カウンタもない。それどころか、台間のコインサンドも珍しかった時代です。そういったシマで、自分の台を打って「◯◯Gに天井があるな」と理解したり、とある人が中央にあるメダル貸し機を何回使ったかで、その台のおおまかなゲーム数や吸い込み枚数を把握して、設定看破を通して周囲の状況や天井狙いに役立てる必要がありました。

あと、この時代を経験していなくて、話だけは聞いたことがあるという感じの方に破壊力抜群の攻略法がどうだったかとか聞かれるのですが・・・。普通に打っているだけなら、滅多にお目にかかれません。雑誌に載って「へえ、そういうこともあったんだ」となるのがほとんどです。

その雑誌などメディアも今ほど発展していませんからね。インターネットもまだありませんし。そういった情報が今よりも出回ることが少なかったんです。というか、そういう情報に触れる機会があるということは、ちょっと危ない人間関係をお持ちなのかな・・・そう思われるくらいでした。暴力団対策法もやっと施行されるくらいの時ですしね。

○4号機技術介入時代(1995年〜2000年)

1995年の『クランキーコンドル』から始まったユニバーサル系の黄金時代。アクロスなどでリバイバルされている機種たちの元祖は、ほぼこの時代のもの。通常時の小役狙いや、BIG中の獲得枚数アップ打法(リプレイハズシ打法)など、現在もパチスロらしい技術介入と言われるもののルーツがここです。

個人的なことですが、もっとも謳歌した時代。唯一の“パチスロ生活者”だった時代です。ここの経験を持って雑誌デビューを果たすことになります。

この当時必要とされていた要素は、まず目押し技術。5号機以降は「できて当たり前・失敗した分はすべてマイナス」というイメージですが、4号機技術介入時代の最初は「成功したらお得」という割と緩いものでした。まあ、すぐに成功を前提にして失敗した分はマイナスとなりましたが。

で、目押しができるんなら。手順の自力作成能力です。雑誌などのメディアも3号機時代よりかはメジャーになってきましたが、最初の号は機種紹介程度のことが普通でした。新装開店の最初からベストの手順で打てれば、大きなアドバンテージを得られたんですね。また、分析能力もあれば、いきなり高設定挙動など推測することもできます。

ただ、何も考えなければ、立ち回りは弱い世代かもしれません。やはり7枚交換など低交換率が主流で、設定1でも出玉率100%超えの機種も多数。もちろん、低交換率なので、高設定台も多数ありました。昔を知るベテラン層が「低交換率で高設定」と言いがちなのは、この時の経験が大きいと思います。だって、狙い台をハズして、今日はダメかと思ったら、仕方なく選んだほうの台も高設定だったりしたんですもの。

そんなアマい状況でしたが、座った台を設定関係なく粘り切るスタイルが中心だったように思えます。ホール数も多かったですし。「ホール数が多い=それだけ経営方針が違う=自分に合ったところを選べる」ということになりますから。

○4号機爆裂AT機時代・ストック機時代(2001年〜2007年)

ここから、今に近くなってきたと思います。始まりの号砲を響かせたのはサミーの『獣王』。ここから爆裂AT機時代となっていきます。どれだけ爆裂だったのか? 同じAT機という名前ですが、5号機以降とレベルが違います(笑)。5万枚クラスの報告も多数といった具合です。

その爆発力が問題視され「規制→遊技機期規則改正(号機の更新)」となっていったのは5号機の終焉時と同じ流れ。その規制でAT機は作れなくなりましたが、そこから遊技機規則改正までの繋ぎとして君臨したのがストック機になります。爆裂AT機とストック機。もちろんシステムや作り方は違いますが、目指したところは同じです。そう3号機の裏モノやそれ以前のゲーム性の合法的な復活です。やたら32G以内がアツいのもそうですよ。

どちらも瞬発力はかなりのものです。短時間でいっぱい出したい。そういう打ち手の願望に応えるため、等価など高価交換が主流となっていきました。

極端な例を言います。一律8.4枚交換だった宮城県の専業は、交換率が自由化になったタイミングでパチスロを離れました。それまではあって当たり前だった高設定台を粘り切るスタイルでした。それが高価交換となって、あるか分からない・探しまくってもないこともあるようになったのです。それは精神的に耐えられないと。

勝ち額的には大きくなるんです。しかし、勝率的には低くなってしまいます。4号機の技術介入時代に勝っていたタイプの多くは、勝ち額が小さくても高勝率というスタイルでした。しかし『獣王』以降は、1回の大きな勝ち額で数回分の負けを補填していく形となったのです。

この時期に求められていたのは“情報力”かと思います。AT機やストック機にマニアックな手順は求められません。また洞察力といっても。目撃できる事象の数は限られています。それよりもプログラム解析などを理解するほうが早くて正確です。

この頃、雑誌やサイトがメジャーとなり、誰でもたった数百円払えばそれなりの情報を得ることができました。また、ホールからのメールも“何でもあり”状態。広告規制のずっと前ですからね。いかに多くの優良店情報を持っているか。いかに勝てそうな機種の解析情報が載った媒体を知っているか。そのほうが遥かに大事な時代でした。それは今に通じるところもあると思っております。 

ということで、暴力団対策法もなかったような時代に作られた2号機以前や3号機の裏モノのゲーム性を追いかけてパチスロは作られていて、勝つために必要となるスキルもその時代ごとに変化してきました。

今でも裏モノが作られれば、また新たなゲーム性が・・・とも思うじゃないですか。でも、それは難しいと思います。

合法的に、出玉やゲーム性を再現できるようになったのです。そんな危ない橋を渡る必要がないのです。また、2000年代の中盤から非合法機への風当たりが厳しくなったというか、報じるほうも難しい状況となっていきました。その頃を知っている方、雑誌にあった裏モノ企画のページ、その頃になくなったでしょ?

あとユーザーの変化も見逃せないです。それ以前を知る人種は、雑誌などメディアに書かれていなければ、一人勝ちできるチャンスと思ったものですが、それを知らない世代は「雑誌に書いてあるものと違う」と怒るほうが強くなっていったのもあります。その怒りの声のほうが強いんですよ。なんせ裏モノは非合法ですから。弁明の余地もございません。

ま、私は。面白いと感じたかどうかだけで、メーカーの正規基板でもメーカーが意図しない裏基板だろうが関係ないと思っていますけどね。現に、自宅に保有している実機で、バキバキの裏基板とノーマル基板を持っている機種もあったりしますし。

ただ、白河の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき・・・なところはあります。胡散臭いところもまた魅力と思っていたんですけどね。ちょっと綺麗すぎるかなって。