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パチスロはどう変わったのか?

2024年05月15日
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、実は私、非常に重い病気を罹っていまして。短くはなさそうだけど長くもなく、何よりヘビーという状況でございます。で、たまに言われることがあるんです。「パチスロ界に言っておきたいことは?」など。

これだけの時間、身を捧げてきたわけで。普通なら言い残しておきたいこともあるんでしょうが、不思議とそういう気分にならないのです。いや、最初はいろいろ考えました。でも適当ではないなと思った次第です。

私は去りゆくことが決まっている人間です。今のパチスロ界を支えなければならない現役世代は、去りゆく人間にゴチャゴチャ言われたくないでしょう。・・・というのもありますが、そもそもパチスロが昔のままではないので、新しい世代で策を考えるべきだと思っているのです。

どこが変わったと感じるのか。レバーを叩く行為、ストップボタンを止める行為。同じではないか。そうも思うんですが、考えていることを掻い摘んで書いてみようかと思います。

まずは、環境面。私がパチスロを始めた頃は、1万5000軒以上のホールがあったでしょうか。最盛期は1万8000軒超。東京でいえば、私鉄の小さな駅前にもほぼ必ずといって良いほどホールが存在していました。

否が応でもパチンコ・パチスロの存在を意識することになります。ノボリなどで(そこで打たなくても)新機種のデビューを知ることになります。住宅街から歩いて行ける範囲にホールがあったんです。

ところが今はどうでしょう? 7000軒を下回っていますよね。自分から探さなければ、パチンコ・パチスロの情報は得られないものとなっています。ホールがない駅も増えました。

規制などとは関係なしに、それだけの広告効果を失った。国民の娯楽ではなく、一部の人の趣味となった。小銭を握りしめて近くのホールに遊びに行っていたものから、大金を持って遠征する趣味となっていったのです。

こんなん、昔の感覚で語っても無意味でしょう。

機種についてもそのように感じます。ざっとトレンドを並べてみます。

1988年頃:2号機
1990年頃:3号機裏モノ時代
1992年頃:4号機
1995年頃:技術介入機時代
1998年頃:大量獲得機・CT機時代
2001年頃:爆裂AT機全盛に
2003年頃:ストック機全盛に
2005年:5号機登場
2006年:みなし機撤去

2005年に5号機が導入されるまで、ほぼ2〜3年でトレンドが変遷しています。常に形を変えていくのがパチスロでした。ちょっと自分には合わないと思っても、3年ほどやり過ごせばトレンドが変わったわけです。

逆に言えば、自分向きと思っても3年経つと、また新たなものへ順応を余儀なくされます。“勝負度外視”であれば、まだ打つこともできました。2006年の“みなし機撤去”までは。そこまで3号機以前の機種も普通に設置されていましたから。

ところが今はどうでしょう? 常にボーナスを隠し持つAT機。とりわけ通常時からリプレイ確率が高くなっていないアクセルATの『激闘!最遊記』(KPE:2014年)の登場から10年以上もトレンドが変わっていません。いろいろなものに対応するのではなく、押し順ナビが合っているかどうかに集約されているように思えます。

機種についても、昔の感覚で語っても無意味でしょう。バリエーションが少ないのですから。

かなり端折りましたが、こんなところですかねえ。昔の感覚で決めつけて語らないほうが良いと思ったのは。

結果的に、新しい世代の新しく出したアイデアがたまたま昔と同じだったということはあるかもしれませんが。そういう時にアドバイスするのは、経験という名の知識を持った人のみができることでしょうし、そこはやぶさかではありません。ただ、0→1のアイデアなどは、これからの方々にお任せしたいかな。

では、何のために“昔の知識”をもって今の機種も語るかというと、同じ時代を過ごした方々と楽しみを共有できれば。そのお手伝いができれば・・・というだけです。