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名店ニューオオネさんの閉店

2021年05月15日

神奈川県秦野市の小田急線、東海大学駅の駅前にあったニューオオネさんが、4月11日に40年間の歴史に幕を閉じました。最終日には遠く北海道からも最後を惜しむファンが駆けつけ、閉店時間になると店長さんに今までの感謝を伝えるべく、多くの人が列をなしておりました。

ご存知の方も多いとは思いますが、ニューオオネさんはレトロ台の聖地として名を馳せました。見る人によっては、切り取りどころによっては“時代遅れの迷店”かもしれません。ただ、私にとっては紛れもなく名店でした。勝った記憶は、ほとんどないですけどね(笑)

生き残り戦略、個性化の一貫として、レトロ台を集める。そうした側面はありますが、あくまでも側面と思っています。“単にレトロならなんでもいい”というようなラインナップではありませんでした。

オーナー店長さんの考える“これこそパチスロ”という機種を集めて長く大事にしていたらレトロ台だらけになってしまった。もちろんウリにもしていましたが、そんな感じにも思えるのです。ここくらいですね。「Re:ゼロから始める異世界生活」が導入されてザワザワしたの(笑)


とはいえ、閉店するわけです。ニューオオネさんも経営的に順風満帆であったならば、閉店することはなかったでしょう。レトロ台を中心としたホール経営は難しい。一言でバッサリ斬るとするならばそうなります。

確かにパチンコ業界が大好きな成功事例ではありません。しかし、そのすべてが失敗ではなく。現在のホール、とりわけ中小店が学ぶべきこともある。ユーザーから見て学んでいただけると嬉しい部分も多分にあるのです。

“パチスロに対する想い”とパチスロを趣味とした“大人の社交場”という存在意義ですね。単にレトロ台を大切にするとかの施作ではありません。概念です。


○ニューオオネさんと佐々木真
▲6号機の“みなし機撤去”があれば、そのときにココで打っているだろうなと思う「サンダーVライトニング」をセレクト

ニューオオネさんの存在を知ったのは15年前。2006年6月の“みなし機撤去(検定・認定切れ機の撤去)”のときでした。初期4号機だけでなく残存していた3号機以前も一斉撤去となった“パチンコ・パチスロがそこまでの歴史を捨てることとなったタイミング”です。

あの機種を最後にもう一度打っておきたい。リーチ目の写メを撮りたい(現役時はなかったので)。それで回っていたうちの1軒がニューオオネさんだったのです。



いろいろなホールに行きましたが、今でも営業しているところはごく一部を除いてありません。巡っている最中にも「今月末で閉店する」なんてところも多くありました。ニューオオネさんもそのうちの1軒になるのだろう。そう思っていました。撤去するみなし機だらけの中に5号機もあったりしましたが、中古で売り捌けますし。

そんなことを思っていたので、それから5年ほどは足が遠ざかることになります。5号機であれば、そんな遠くに行かずとも打ててしまいますし。

再び行くようになったのは、2011年あたり。押し順ナビのART機が完全に主流となって、ボーナス主体のゲーム性が廃れてきた頃です。「まだあの機種残っていると思ったら、ニューオオネさんか。さすが(笑)」こんな感じでしたね。


初期5号機が残っているとマニアの間で評判になり始め、2019年の年末には5号機の“みなし機”撤去で注目を集めました。それまでの間も、“かつての私のように”ニューオオネさんでお別れ実戦をして、その模様や愛をブログ記事などにする人もおりました。

その中の一人が、街のパチンコ環境の移り変わり(下北沢編)(http://www.pachibee.jp/ivent/view/1888)や、ゲームセンター「タンポポ」は昭和パチンコのテーマパークだった!(http://www.pachibee.jp/ivent/view/1913)に登場していただいた平岡みゆきさんです。

いつの時代も、撤去を惜しむ層は一定数いるものです。それが10年以上の歳月を経て、同じホールというのは凄くありません? ニューオオネさん以外ではほぼないことかと思います。

実は、いつかニューオオネさんの企画記事も書きたいと思っておりました。その際にはニューオオネ愛に溢れる平岡さんのご助力は欠かせない。それもあってレトロ系の企画記事にはご参加いただいていたのです。ということで、こんな形になるとは思いませんでしたが、平岡みゆきさんにもご登場願いましょう。


○ニューオオネさんと平岡みゆき
▲この日にいたお客様で、開店から閉店までひたすら回してたのって、なんなら私だけじゃないかしら(笑)。

はじめまして、平岡みゆきと申します。この数年間、珍古台や絶滅危惧種を探しては、残存するホールを打ち歩いてブログなどを書いていました。


その中でも、ニューオオネ様はダントツに絶滅危惧種を残してくださっていました。当時あったのは全部で120台。すべて1台ずつしかない台ばかりで、撤去対象のみなし機はなんと90台もあったのです! 店内の75%もの台が撤去される計算になりますね。

撤去される直前の期間などはどうなるんだろう。終焉の時はどうなるんだろう。この子たちは、どうなるんだろう。この子たちがハズされたお店はどうなるんだろう。この「ニューオオネ」というお店の記録をどうしても残したくなったのです。


2019年12月30日までのラスト4日間は店内も大変な賑わいで、盛大に花火が打ち上がりました。それとは対照的に、翌2020年1月2日の朝の並びは3人のみ。3日前のお祭りが幻のように感じました。それもそのはず、店内に残された設置機種はわずか30台。あぁ……ますます、見続けなければ。

ニューオオネ様に何度か足を運び、店長さん・スタッフさんと何度もお話させていただいているうちに、平岡はすっかりパチスロ愛が店内いたるところに溢れるお店と、店長さんのファンになっていました。

ニューオオネ様へ4号機の頃から足を運ばれていた先輩達に、4号機から5号機へ移行したときも再生したのは伺っておりましたので、あの苦難の時間もちゃんと立ち上がり、こうして5号機時代を生きぬかれたニューオオネ様が、ここからどのようにまた立ち上がるのかを見届けたくなったのです。

平岡はこの頃、むしろみなし機があったときよりも通っていたのかもしれません。

全120台、3島あった店内は1島だけになりました。その1島ですら、ベニヤ板で潰されている席もある。店長からお許しをいただき、ブルーシートがかけられた島を覗くと……そこには、それはそれは多くのファンに愛され、全国のユーザーに打たれてきた、平岡も散々楽しませてもらった台たちが、眠っていました。仕事を終え、ひっそりと眠る台の数々を見たとき。一人、平岡は泣きました。そのお世辞にも広いとは言えない通路に立ち尽くし、涙が溢れ出てきました。

まさに、これから迎えようとしている6号機という試練の時代。苦しむ姿を目にするのかもしれませんが、そうしたお姿も目に焼き付け、記録として残すことが、ここまで楽しませてもらい、全国にも名を知られるほどひたすらに、パチスロを愛して貫いたお店への恩返しではないかと。

「このお店だからこそ、ここで打ちたい」「勝っても負けても、ここだから納得できる楽しむパチスロである」そう思わせてくれたお店は、ニューオオネ様が初めてでした。

ニューオオネ様に出会ったことで、パチスロには歴史があり、文化があり、その場所でなければ味わうことのできない特別な場所があるということを教わりました。今では随分と減ってしまいましたが、大衆娯楽として長らく地元で愛された、たくさんの中小老舗店があったことを知りました。

いつかまた、再びそのシャッターが開いた日には、訪れるつもりです。私が何歳になっても。再びその日が来ることを信じています。


平岡さんの愛情は半端ないなと(笑)。レトロ台がウリになっているということは、大量撤去させられることがあるのは避けられません。私は2006年の段階でも閉めるのだろうと目を離していました。言わば“オイシイとこ取り”でした。

それに対して平岡さんは、撤去されてガラガラになったフロアの再生過程も目に焼き付けようとしていました。5年ほど存在を忘れていた私とは大違いです。

この最終日には、平岡さんのレトロ台巡回ツアー仲間(?)の方々とも会うことができました。ニューオオネさんからいただいたご縁ですね。


○レトロ台メインの経営が難しいと思う理由

普通ならば2006年に閉店していても不思議ではありません。フロアがガラガラになって、それを埋めるのは、射幸性が抑えられた機種となりましたから。そこを乗り越え、2019年の5号機“みなし機撤去”も乗り越え。再生の途上で突然の閉店となったわけです。

過去の苦難も立ち上がるパチスロ愛・想いのあったホールです。予想もしていませんでしたし、それだけコロナ禍やパチスロを取り巻く環境など逆風が強いとも感じさせられました。


ぶっちゃけまして。もし私がホール経営をするならば、レトロ台をウリにすることは避けたいです。ニューオオネさんは特異な例で、大半は“なってしまうもの”だと思っています。

時流に合わせた経営をする。その地域のパチンコ・パチスロユーザーが喜ぶような機種に入れ替えていく。これが本筋なはずです。普通のホールならば当たり前のことをできる体力がなくなり、自然と残ってしまった台がレトロとなって、希少価値を生んだだけに見えるところも多いように感じてしまうからです。

そして、一斉撤去などでそれも奪われ、営業しようにもそれを埋める機械代を捻出できず、それまでポチポチとやってきていたマニアの足も遠のき、お店を畳むことになるわけです。2006年も大半のレトロ台をウリにしていたホールは事業撤退を余儀なくされました。


このような良さを分かって好むようなマニアは、結果として広い地域に分散してしまうことになります。緊急事態宣言などがあると、必然的に通うのを躊躇ってしまう距離となってしまったのもあったかと思います。

ニューオオネさんが、地元のことを考えていなかったわけではありません。むしろ逆。こういった遊べる機種で学ぶと良いスロッターになるとは思わされました。ただ、それはキャリアを積んだから思うことであって。マニアックなラインナップは、初心者さんやそれに近い方々への引きとしては弱かったとも感じます。

いや、本当。よほどの信念(と、自社物件などの条件)がなければ難しいと思いますし、パチスロ愛という信念があったからこそニューオオネさんは何度も立ち上がれたのだと思います。


○ニューオオネさんが教えてくれたこと

最終日に集った面々は、レトロ台が目的ではありませんでした。古い機種はハズされてしまっていますからね。それでも集まったのは、パチスロ愛に溢れたこのホールを最後に体感したかったからでしょう。レトロ台がなくても構わないのです。パチスロ愛に溢れる場所で遊技したかっただけなのです。

もちろん、最初はレトロ台の設置店検索などで存在を知ることとなります。その台を打つことが目的の人が大半です。そうしてボチボチしたペースでも見ているうちに、ニューオオネさんに選ばれた設置台が気になり始め。最後にはホール自体に魅力を感じて知らない台も打ちたくなってしまいます。そんな魅力? 魔力? があったから、最後に多くの人が駆けつける光景となったのでしょう。

レトロ台は手段であって目的ではない。私はそう思います。

そんな最終日に集まった方々とは、こんなことでもなければ、同じ時間に同じ空間で出会うことがなかったかもしれません。でも、間違いなく気持ちは同じでした。すれ違う際にお互い笑顔で会釈。喫煙所では自然と会話も発生しました。

自分と同じようにパチスロを楽しんでいる人々が集う場所。それを感じられる“大人の社交場”。パチンコホールの原風景がここにありました。家の近所だったら、こんな状況でもなければ、近くの居酒屋など一緒に飲みにいったかもしれません。


経営的には大型ホールのほうが優位です。そして、小型店はどんどんと減少していっています。その業界の縮図がこのニューオオネさんの閉店と重なって見えたのは確かです。

近所の同じ趣味の友人ができる。近所の商店街が繁盛する。これこそ、住宅街などにあるような中小店ができる地域貢献であり、商圏の広い大型店が苦手にしていること。中小店の生き残る手段の一つなのに足りていないように感じるところです。


私にとってニューオオネさんとは。パチスロマニアでもある店長さんからオススメされるレアな機種を打てるだけでなく、現在のパチスロシーンが忘れてきていることは何だろうと学べた場でもありました。

正確には閉店ではなく、休業扱いとのことです。急すぎて、お別れをできなかった方のために臨時営業をしてくれもしたようです(笑)。また店長さんが“これこそパチスロ”と思う機種が増えて、ウズウズしたら復活してくれるかもしれませんね。ひとまず、お疲れさまでした。ありがとうございました。